多摩美の文化祭で行われた佐野研二郎氏の葬儀について 〜アートとデザイン〜

多摩美術大学の文化祭で佐野研二郎教授の葬儀が行われました。

佐野研二郎氏は、2020年の東京オリンピックのエンブレムのデザインで一躍有名になりました。
彼のデザインしたものが、ベルギーの劇場のシンボルマークとスペインのデザイン事務所のロゴマークに酷似していることが、ネットメディアを中心に挙げられ、さらに、次々と佐野氏が発表したものが「パクリ」として掘り起こされて行ったのです。

そんな佐野研二郎氏は、現在「多摩美術大学」の統合デザイン学科で教授をしています。
その大学の文化祭で、彼の葬儀がパフォーマンス・アートして学生の手で行われました。

次々とツイッターに挙げられる葬儀の様子を見て「不謹慎だ」「こどものいじめにつながる」「アートでしょ」と、否定的な意見が多めではありますが、賛否両論が巻き起こっています。

これは、アートなのでしょうか。
気持ち良い方向にせよ、嫌な気分にせよ、どちらかに関わらず人の心を動かすのがアートとすればアートなのでしょう。
学生と教授という立場で見ると、弱者が強者を否定しているとも思えます。
パクった人を教授として迎い入れている大学を糾弾しているともとれます。

ただひとつ残念なことは、佐野研二郎氏は、アーティストではなくデザイナーなのです。
役に立ったり、売れるものを作る立場なのです。
また、一番成功しているのは、自分のデザインがお金になる仕組みを作り上げていることなのです。

アートの世界にいない人物をアートの流儀でいじる。
例えて言うなら、空手の”型”の有名選手が歩いているところを突然集団でボコるという感じかも知れません。

ただし、ボコる側は「パフォーマンスだから、アートだから」と思っているのでしょう。
しかも、そういうことをしてる時「俺たちイケてる!」と思うのがアーティスなのです。
そう思わないとアート作品は産まれてこないでしょう。

ただ、それで産まれてきた作品をどう思うのかは、見る側の勝手なのもお忘れなく。