落語とジャズの奇妙な関係

落語とジャズの奇妙な関係

落語とジャズに共通点を感じることがあります。
落語も、ジャズも「知っている人に聞かせる」ものであるということ。
落語には「古典」、ジャズには「スタンダード」という昔から受け継がれてきた作品があります。

例えば、落語の古典と言えば、「時そば」「寿限無」「芝浜」「品川心中」など。
ジャズのスタンダードは、「A列車で行こう」「枯葉」「星に願いを」という感じです。

そして、落語は落語家によって古典にアレンジを加えます。人によっては、最後の落ち(下げ)まで変えてしまうこともあります。
ジャズは、スタンダードを演奏しつつ、それぞれの演奏者が途中のソロパートで自由に演奏します。

元になるものがあって、その形を受け継いで行くけれど、それを「どれだけ変化させられるか」というのが腕の見せ所になっているという共通点があるのです。

と、ここまではきっと多くの人が感じていることだと思います。

こんなところが意外な共通点

今回、お話したかったのは、もうひとつ別な角度でみた共通点です。

それは、「社会的なスタンス」というもの。

私は、落語とジャズ、どちらも結構「いい様に扱われている」と感じています。
どこかの商店街のイベントや、町おこしの出し物として両者は重宝されているのです。
両者ともそれなりに歴史があり、文化的に「正しいもの」として多くの人に認識されています。

町おこしで「コント大会」ではなく、「寄席」の方がなんとなく良さそうなのも、「ヘビメタコンサート」より「ジャズコンサート」の方が格が高そうな感じがするのも、人々が「そっちの方が正しい、間違ってないもの」と認識しているからだと考えられます。

そんな訳で、文化的な催しをしようと考えた時に、選択肢に上がってくる…つまり「使い勝手が良いもの」として、落語もジャズも扱われているのです。

他にもそうなってしまいそうなもの

最近では、他にもそのような扱いになりつつあるものがあります。
ひとつは「プロレス」。
以前は、全日本プロレス、新本プロレスの2つの団体しかなかったプロレスですが、分裂して行ったり、どんどん小さい団体が誕生し、地方を本拠地とする団体も現れてきました。
そして、今では、区や町や商店街という狭い地域を活動拠点とするプロレス団体もちらほら誕生しています。
そのような団体は、町おこしや商店街のイベントが主な興行の場となっています。

次に「ヒップホップダンス」。
かつては、夜の公園に不良が集まってなんかやってるという悪いイメージでしたが、だんだん「若者が努力して身につけるもの」としてイメージが変化してきました。
これは、学校の授業で必修となったことが大きな影響だと言えます。
すでに、ダンス大会を町おこしや商店街のイベントとしているのを見かけることも多くなりました。

そして「ラップ」。
これは、まだまだ「良いもの」としての道のりを歩き始めたばかりです。
こちらもヒップホップダンスと同様に、ガラの悪いやからが、繁華街で円になってなんかやっている…と思われていたものですが、テレビの企画の「高校生ラップ選手権」の影響で、「若者ががんばって夢をつかむもの」として、認識され始めています。
やがて、「◯◯商店街フリースタイルラップ大会」というイベントも行われることでしょう。

このような文化的な出し物にもってこいの大先輩に「アート」があるということを忘れてはいけません。
なんとなく「良いものに感じる」この不思議なスタンスを確立した大先輩です。

それについては、また別の機会に。