自分の信じているものが認められない辛さ 〜PHSが25年の歴史に幕を下ろす〜 と、ハロプロとAKB48とMacとWindowsにiPhoneとAndroid

phsよ永遠なれ

私が初めて携帯電話を手にしたのは1996年の秋でした。
携帯電話と言いましたが、実際はPHSです。
以来ずっとPHSを使って来たのですが、2018年の3月末でPHSは新規申し込みを打ち切られるということになってしまいました。

PHSも携帯する電話なので携帯電話には違いないのですが、世の中としては、なぜか一般的に携帯電話と呼ばれるものとPHSを分けて考えています。
ここでは、PHSでない携帯電話はケータイと呼ぶことにします。

ケータイとPHSの違いですが、みなさんはどう感じていますか?
なんとなくケータイの亜流、劣ったものがPHSと感じているのではないのでしょうか?

私はまったく逆で、断然PHSの方が優れていると考えています。

ケータイとPHSの違いは次のようなものがあります。

ケータイの使える範囲を広げるには、どデカイ電波塔を建てる必要がある。
PHSは基地局と言われる、小さめのスーツケースのようなものを電柱やマンションの屋上に設置する。

当然、ケータイのどデカイ電波塔よりPHSの基地局の方が設置費用はバカ安くなります。

ケータイの電波塔は1基で半径数kmの範囲をカバーできる。PHSの基地局は1台で数百m。

ケータイは遠くまで電波を届かせるために、強い電波を生み出す必要があります。これが人体やペースメーカーに悪影響を及ぼすと言われています。
PHSは近くの基地局と通信するため、ケータイに比べて弱い電波で事が足りるので、人体や医療機器に影響を及ぼさず、病院の中で医者や看護婦の連絡用として使われています。
また、強い電波を生み出すには、それなりの電力が必要になるので、バッテリーの持続時間もPHSの方が長くなっている。

PHSは音質が良い(普通の電話と同じぐらい)。ケータイは音が酷い。

PHSの音声は32kbps。簡単に言うと、人間の声の1秒間を32000個に分けてデータ化して相手に送ります。これが、ケータイだと9.6kbps〜12.2kbps。計算上は半分以下の音質です。
ケータイでもvolteやHD+など音声を良くする技術が実装されているものもありますが、お互いにその機能を搭載した機種で通話をしないとその効果は現れません。

PHSは安い

何よりも一番の違いが料金です。正直言うと、私が最初にPHSを選んだのも「利用料金が安い」というのが一番の理由でした。
確か、最初に手にした時は、毎月3,000円ぐらいだったと思います。そこに通話料が入ってくるのですが、それもケータイに比べてかなり安く、メールはいくら送っても受け取っても0円でした。
現在は、相手が誰であれ5分以内なら通話料がかからないサービスがあり、通話料込みで2,500円行かないぐらいです。
本体料金もPHSはケータイの1/3ぐらいでした。

これだけ比べても、PHSの方が優れているのですが、なぜPHSは終わってしまうのか?
それは前述した「なんとなく」というのが実際の理由のひとつなのです。

「なんとなくかっこ悪い」「なんとなく劣っていそう」という、実際には調べもしないのに多くの人の意識に刷り込まれた「なんとなく」の印象が契約の伸び悩みとなり、PHSの終焉につながったのです。

スマートフォンの登場というのも大きな理由です。
スマホが登場して、音声通話がメインのガラケーもほとんど姿を消しました。
しかも、スマホとガラケーは通信方法が同じですが、PHSは、まったく独自の通信ネットワークを使っています。「なんとなく」で利用者も少なく、それなのにPHSしか使わないネットワークを維持する理由があるのか?と問われると、答えは自ずから見えてきます。

自分が良いと思っているものが消されていく辛さ、粗悪と思っている方が大勢に支持されているもどかしさは、この世の中に腐るほどあります。

例えばアイドル。

ハロープロジェクトとAKB48。どちらも、複数のアイドルが所属するグループの総称です。
ハロープロジェクト(以下ハロプロ)は、かつてモーニング娘。で一世風靡しましたが、その後、AKB48の台頭で、すっかり表舞台(と言ってもテレビという意味ですが)から姿を消したと思われていることでしょう。
それは、実力が至らなくてそうなってしまったのか?

こちらをご覧ください。
ハロプロの歌

ハロプロのダンス

どうみてもAKB48より段違いに実力は上です。つまり品質は高いのに、世の中は品質の低いAKB48を選んでいると言うことです。まぁ、今ではAKB48も斜陽な感じは否めませんが。

次に、Mac OS と Windows。
かつて私は、見たことも触ったこともないのに「Macはすぐ固まる」という言葉を鵜呑みにしていました。
ある日、友人がMacを買ったというので、見に行った時のことでした。キーボードのキーを同時に2つ押すだけで、ファイルが複製されるのを見て、一気に考え方が変わりました。
それまでMS DOSで「copy A B」なんてコマンドを打っていた時代です。

確か1995年のことで、まだWindows95が登場する前でした。もちろんその後Windows95も触りましたが、Macを見た後だったので、それに比べて恐ろしいほど汚いフォントや画面の構成、デザインなどに「なんでこんなもんが死ぬほど売れてるんだ?」と腹立たしい限りでした。

これも「何となくMacはダメ」という、よく知らない人の認識によるものだと思います。

こんな世の中で良いんだろうか?良いものが認められない、こんなイライラしてしまう世の中で…。

しかし、救いはあるのです。インターネットです。

「自分が良い」と思ったものを自由に発信でき、それに賛同する人々に届く世界。
「力の強い者」が、自分にとって都合の悪い「弱い者」を隠してしまうことができなくなった世界。
どんなに力が大きい者に対しても、必ずそれを受け入れられない者が言葉を発することができる世界。

そういう時代になり「なんとなく」という集団の意思がどんどん薄れて行っています。
それにより、自分の見下すものが多くの人に受け入れられていても、苛立ちではなく「可哀想に…」と冷静でいられる世界になったのです。

ハロプロは、一般的な人には支持されていないかも知れませんが、なぜか日本の文壇に強烈なファンが多くいます。彼、彼女らは、いつも当たり前だとされていることに疑いの念を持ち、自分たちの考えを模索して言葉にしています。そういう層からちゃんと評価されているのです。

Mac OSのApple社は、かつてMacが甘んじた「なんとなく」の集団意識を逆手にとって、iPhoneで逆転を図ります。今では「何となくiPhone」という層をがっちりと産み出し、「Andoridの方がスペックは上なのに!」と逆にごまめの歯軋りをさせる側になっています。
本当のところを言うと、iPhoneは良くできているので、Androidは「スペックしか上じゃない」というのが現状で、実力に見合う評価をちゃんと受けられるように世の中にアピールしたApple社が努力した結果なのですが。
この2者がしのぎを削っている間に、ひっそりとWindowsはスマホのOSとしては大敗を喫することとなりました。

しかし、PHSは生き残れなかった…。
現在、固定電話の加入者数もどんどん減少しています。固定電話の通信ネットワークの維持費とPHSの基地局の維持費はどちらが多いのでしょうか?
もしかしたら、そこにPHSの生き残る道が隠されているかも知れません。
PHSもハロプロやMacの様に密かに評価する人たちの思いがなんとか届いて欲しいものです。