「生ハムと焼きうどん」の断食(活動休止)宣言 〜愛の無い世界に行くことをやめた彼女たちと、愛のある世界を造るために闘う渡辺淳之介氏〜

2017年1月14日「生ハムと焼きうどん」というアイドルユニットが活動休止を宣言しました。
女子高生の東理紗さんと西井万理那さんが文化祭の為に結成したユニットで、そのまま2014年に芸能活動をしていくことを決意。芸能事務所には所属せず、作詞、作曲、振り付け、衣装、寸劇、ライブやメディア出演のブッキングを全て自分たちでプロデュースしながら活動を続けていました。
ライブの時に、誰も自分たちのM.C.を聞かないので、どうしたものかと考え、代わりに曲の間に寸劇をするようになります。それが注目を浴び、2016年は、AbemaTV、ニコ動などのネットメディアで見かけることが多くなり、地上波各局の朝のワイドショーで、「セルフプロデュースの寸劇をする変わったアイドル」として取り上げられるようになり、順風満帆かと思われていました。
地上波で紹介されるときは、判で押したように「寸劇」という面ばかりが取り上げられていましたが、私としては、彼女たちがつくる楽曲がとてもリアルで、素直で、すごくイイなと思っていました。

▼素直な曲がとてもイイ「ひゃくぱーせんと」

▼振り付けがすごくイイ「にゅんにゅん」

▼逆に彼女たちの寸劇のノリには、正直ついていけなかった…

↑同じく事務所未所属の大森靖子との共演

そんな彼女たちが活動休止に至った過程と心境が、東理紗さん本人の言葉で書かれていました。
▼『生ハムと焼うどん、断食します。』
http://ameblo.jp/higashi281/entry-12238466647.html

活動休止の大きな要因のひとつとして、悪い大人に騙されギャランティが発生しないばかりか、自分たちで持ち出しての活動が続いたことがあるようです。

成功したアイドルの通る道として、「愛のある現場」から「愛の無い現場」に行くというものがあります。
まだ、どこにも取り上げられていない無名のアイドル時代に、個々人の感性にしたがって、支えてくれるファンが増えていくのが「愛のある現場」。

そして、より大きな市場に向かって、地上波のテレビに出て活動していくとき、彼女たちは、自分たちのことをまったく知らない人ばかりの「愛の無い現場」に行くことになります。

その愛の無い現場に立った時、再び1からのスタートとなるのです。
その世界に合わせて自分たちの形を変えて、古くからのファンが離れていき、輝かしい世界に登場してからのファンを多く獲得することで、成功をおさめるのです。

渡辺淳之介氏というプロデューサーがいます。
すばらしい楽曲と、とんでもない過激なパフォーマンスで、カルト的な人気を博した「BiS」というアイドルグループをプロデュースしたことで知られています。
BiSは、2010年にメンバーを公開オーディションで募集し、活動を開始。
とにかく売れることを目標に過激なプロモーションを連発するため、脱退するメンバーが続出し、入れ替わりが激しいグループでも有名でした。
ちなみに、終身名誉メンバーとしてコシノジュンコさんも名を連ねています。

楽曲の良さと、寺山修司的な世界観や、ノイズバンドどのコラボなどで一定層のファンを獲得し、このまま大きく化けるかと思われた矢先の2014年に解散を発表します。

▼もろ寺山的世界「IDOL」

実は、これは「愛のある現場」を継続したいという渡辺淳之介氏の策略だったのです。

当初、BiSと渡辺氏はある事務所に所属しての活動だったのですが、いくら作戦を練って成功しても、メンバーにも、渡辺氏自身にも十分な見返りがない状態でした。

そこで、彼はBiSを解散し、自分で会社を起ち上げました。

芸能界の慣例で芸能人が所属事務所を移籍した場合、約2年間ほど活動を控えます。
その間、渡辺氏はBiSHという新しいアイドルグループをプロデュースします。
このBiSHは、アイナ・ジ・エンドというモンスター級のボーカリストを得て、一気に人気が高まりました。
そして、慣例の喪が明けた2016年の夏に再び公開オーディションで「BiS」の2期をスタートさせます。

▼アイナ・ジ・エンドの魅力が爆発「オーケストラ」

現在ではBiSHの方がマスメディアに取り上げられることが多いのですが、マスメディアともほどほどの付き合いし、それでいてコアなファンとの信頼関係を保つ戦略で渡辺氏は闘っているようです。

マスメディアで「今はこれが良いんです」って決めてもらう時代はとっくに終わっています。
ネットで自分の好きなものを探す。そんな今でこそ、数の大きい方にシフトする方がよっぽどリスクが高いということを彼は、感じているのではないでしょうか。

▼BiS 第二期「CHANGE the WORLD」

生ハムと焼きうどんは、完全にセルフプロデュースで活動してきました。
終わりも自分たちで決めました。
少しだけ残念だったのは、少し肩の力を抜いて周りを見渡す時間がなかった、彼女たちの代わりにそれをする人物がいなかったということだったのだと思います。