ストリートビューで想像する各国の隠れた事情(その3)〜イスラエル編〜

イスラエル全土

キングオブキングス・キナクシャス イスラエル

さてさて、その名を聞けばどっからともなくキナ臭いにおいがただよってくるイスラエルです。
イスラエルには、ストリートビューがあるじゃん!と思われるかも知れませんが、よーく見て下さい。
エルサレムの北の方に、ぽっかりと空白になっているエリアがあります。
これは何かありそうです。

そもそも、なんでこの辺りがキナ臭くなったのか?
調べてみて解ったのですが、その理由は長い歴史に裏付けられた、とてつもないキナ臭さで、まさに「キングオブキングス・キナクシャス」を名乗るのにふさわしいものでした。

ここにイスラエルを創った理由

まず、なぜここにユダヤ人のひとたちがイスラエルという国を創ったのか?というところ。

どうやら、ユダヤ教の経典「旧約聖書」に、ユダヤ教の唯一神エホバ(ヤハウェ)からアブラハムさんがもらった土地、カナン(約束の地)がここだと書いてあるからなんだそうなんです。(赤い線の間)

Greater Israel map.jpg
By Emmanuelm (talk) – Own work (Original text: self-made), Public Domain, Link

なるほど、彼らが信じている経典に書かれているなら仕方がないですね。

ちなみに、アブラハムさんは「啓典の民」の始祖とされています。啓典の民とはユダヤ教・キリスト教・イスラム教を信仰する人たちのこと。つまり、この3つの宗教は出発点は同じということになります。

その始まりの人が神様からもらったんだから、間違いなくこの辺りはユダヤ人のもんだ!というわけです。

そんなわけで、紀元前12世紀頃、ユダヤの人たちは、カナンに侵攻して行きます。
そこにはペリシテ人という人たちが住んでいたけど、「神様からもらったんだから!」と言いつつ攻め込んで行ったのです。

その後、紀元前995年頃にダビデという人がエルサレムに住んでいたエブス人を、これまた制圧してイスラエル王国を建国します。ここでイスラエルという国が一回できます。

そのうちに、紀元前63年頃、ローマ帝国がやってきます。イスラエルはローマ帝国の属州の一部になります。
しかし、政教分離を唱えるローマ帝国と、そんな考えがぜんぜんなかったユダヤ人との間でいざこざが絶えず、ついにしびれを切らしたローマ帝国は、135年にユダヤ人をメッタメタの散り散りにして、その辺りをユダヤ人の敵のペリシテ人からとった「パレスチナ」と名付けます。

バラバラになったユダヤ人たちは流浪を続け、1890年に提唱された「イスラエルに帰ろう」という運動(シオニズム運動)によって、ちょっとずつイスラエルに戻って住むようになります。

1917年に英国がオスマン軍を破って入城するまでは、パレスチナにはイスラム教徒がたくさん住んでいました。
1920年に英国のウィンストン・チャーチルがユダヤ人国家支持を表明。
1922年にイギリス委任統治領パレスチナが成立して、イギリスと国連がユダヤ人の移民を活発にする責任を負います(なぜに?)
1945年に太平洋戦争が終わると、エルサレムでユダヤ人とイスラム教徒が殺し合いを始めます。
1948年5月にホロコーストを生き延びたユダヤ人は、その地をイスラエル国として独立。

米国はイスラエルを速攻で国家認証しますが、アラブ諸国側はまったく認めず、すぐに第一次中東戦争になって今でもそのままずーっとテロと軍事介入の繰り返し…という感じです。

なぜストリートビューがぽっかり無いのか?

ようやくストリートビューのない地区についてです。
テロのメッカ、イスラエルも含めてこの辺り一帯は「ヨルダン川西岸地区」と呼ばれています。
このヨルダン川西岸地区では、現在、軍事力で勝るユダヤ人が実行支配し、パレスチナ人は居住できる地域が限らています(パレスチナ人自治区)。それがこちら。

Zones A and B in Israel.svg
By TUBSOwn work

赤い所がパレスチナ人自治区、クリーム色のところがユダヤ人が統治している地域です。
どうですか?パレスチナ人は、ちょっとずつに分けられて、その間を網の目のようにユダヤ人が治めています。
またパレスチナ人は自分の住む自治区から外に出ることをかなり厳しく制限されているようです。

年代ごとに見てみるとこんな感じです。こちらは緑色の場所がパレスチナ人が住んでいる場所になります。

パレスチナ人の住んでるところ
パレスチナ人居住区の年代別変化/出典:World Literature Today

で、現在のパレスチナ人自治区とストリートビューを重ねてみるとこんな感じ。

パレスチナ人自治区とストリートビュー
パレスチナ人自治区とストリートビュー

ストリートビューの無い場所には、ちょっと広めのパレスチナ人自治区があるのが解ります。自治区と言っても難民キャンプです。

そして、この場所には、ジェニンやビルキンという町があり、イスラエル軍はここを過激派の潜んでいる地区といして、ガンガンに攻め入っているのです。
実際にツバスの難民キャンプで過激派の指導者のひとりを拘束したこともあるようです。

イスラエルのキナ臭い地域
過激派が潜む地域

なので、ストリートビューにされるとかなりまずい光景が写っちゃうんじゃないかと思われます。
あるいは、のんびりストリートビューを撮影する車が通れる状況じゃないとか。

そんなわけで、ストリートビューがない地域には、今回もかなり深い事情があったようです。