私は、テレビゲームの音楽が大好きでした。
「でした」と過去形で書いたのには理由があります。
ひとまとめにテレビゲームと言いましたが、大きく3つに分けられます。
ひとつは、ファミコンのように家のテレビにつないで遊ぶもの。
もうひとつは、パソコンで遊ぶもの。
最後に、ゲームセンターで遊ぶもの。
あ! 今だとスマホもあるので、4つですね。
ゲームミュージックのどこが好きだったのか……
それは「制約の中で苦悩して工夫して、それでいて人の感情をかき立てる」というところなのです。
今回は、ファミコンのゲームミュージックだけにしぼってお話をします。
ファミコンが発売されたのは1983年になります。
発売当初の音楽はこんな感じです。
『ピンボール』1984年 任天堂
では、どんな制約があるのか?
まずは、同時に出せる音の数が少ないというものです。
ファミコンで出せる音は、次の4種類。
・矩形波…四角い形の音波で、主にメロディーに使われます。
・三角波…ノコギリの刃のような形の音波。主にベース音の表現に使われます。
・ノイズ…ザーという正に雑音のような音。スネアドラムなどに使われます。
・DPCM…録音した音を波形に変えて再現します。人間の声などに使われます。
一応、この4つの音を同時に出すことができますが、DPCMは大きな容量を使ってしまうのと、それによって開発コストが上がってしまうので、ほとんど使われることがありませんでした。
実質、同時に3つの音だけが出せる状況で音楽を奏でるのです。
バンドで言うと、ヴォーカルとギターとベースとドラムというよくある編成になりますが、誰もが同時に1つしか音が出せない状況なのです。
ギターとベースはどこかの弦を1本だけ、ドラムはバスドラムやスネアドラムのどこかひとつだけからしか音が出せないというものなのです。
逆に言うと、ドミソの和音を出すと、それで限界になってしまいます。
時には、トランペットやピアノやパーカッションの音も出したいでしょう。
では、どうするか?
この4人がものすごい勢いで楽器を持ち替えながら演奏するのです。
つまり、プログラムで出す音色を次々に変化させながら演奏し、ひとつの曲をつくるのです。
そして、先ほども出た容量の問題です。
ファミコンが処理できる最大の容量が1Mbになります。
これ、どれぐらいだと思いますか?
この写真、これが1.3MBになります。
つまり、この写真より小さい容量で、ゲームを作らなくてはいけないのです。
キャラクターの動きや背景の画像、敵のキャラやそれらを動かすプログラム……全部をこの中に収めるのです。当然、ゲームミュージックもその中に押し込めないといけない。
キャラクターがなければゲームにはなりません。ゲームが進めば、背景も変わる。ゲームミュージックに割り当てられる範囲なんて本当に微々たるものです。
その中でなんとかやりくりして、人の感情をゆさぶるようなものを作らなければならないのです。
そんな中で、ファミコンのゲームミュージックに革命がやってきます。
ドラゴンクエストIIIの発売です。
では、実際に聞いて見て下さい。違いが解るでしょうか?
『ドラゴンクエストIII』1988年 エニックス
そう、エコーがかかっています。
当初、このエコーをかけるために、カセットの中に特殊なICチップを搭載した…と記憶していたのですが、いくら検索してもそのような記述が出てきませんでした。私の記憶違いだったようです。
どうやら、このエコーはプログラムのテクニックで作られているようです。
楽曲の評判が高かったドラゴンクエストIIIの影響で、ファミコンゲームを作っている各社がゲームミュージックにも力を入れるようになります。
中には、ゲームミュージック専用の特殊なICチップをカセットの中に搭載するものも登場し、ついには、ここまでやってくるのでした。
『へべれけ』1991年 SUNSOFT
さらに、日本では未発売ですが、特殊ICチップとプログラムテクニックの粋を集めて、ファミコンとは思えないようなものが発売されます。
※この作品には、カスタムチップは使われていないというご指摘がありました。訂正いたします。
『SILVER SURFER』 1990年 Arcadia Systems
このような工夫に、私はとても痺れていたのでした。
今では、ゲーム機の性能も高性能になり、容量の制限もほとんどなくなりました。
ゲームミュージックは、プログラムで機械に演奏させなくても、人間が演奏したものを録音して、そのままのクオリティで流すことができます。
もう、ゲームミュージックには何も制約がなくなったのです。
何も制約がなく、自由に作ることができるようになったゲームミュージックは、普通の音楽になりました。
そして、私は、今、どんな曲がゲームに流れているのかを知りません。
身勝手なのかも知れませんが、私は、ゲームミュージックの音楽性そのものではなく、「制約に抗いながら表現をしている姿」にトキメキを感じていたのだと分かりました。
俳句は17音で、それを目にする人間の中に宇宙を広げます。
俳句に何も制約がなくなったら…… そんな感じなのかも知れません。