「それな」への違和感
2年ぐらい前に「それな」という言葉が中高生の間で流行っていると話題になっていました。
「それな」は、メッセージアプリのLINE上のやりとりで、誰かが出した意見に同意する意思を現す時に使われます。
Youtubeのコメント欄にも多く見られます。
ただ、「それな」の意味は固定されていません。
人によって「そうだね」「たしかにね」「そのとおり」という意味としていることもありますが、私個人としては、「それな」という文字面を目にすると、「そうそう、俺は解っている」と言っているように感じます。
あくまで、自分は、ずっと前にそう思っていて、ようやくお前もここまで来たか…というちょっと上からの印象を受けます。
「み」がやって来た
「それな」の次に来たのが「み」です。「〜み」というような使い方をします。
「やばい→やばみ」、「わかる→わかりみ」のような感じです。
「〜み」は、「それな」に輪をかけて、意味の幅が広くなっています。
「わかりみがすごい」だと、「すごく解りやすい、理解しやすい」と解説しているのをよく見かけますが、本当にそうでしょうか?
私は、そこに「私もその感覚すごくよく解る!そして、それってかなり一般的じゃない感覚で、それが共有できて、嬉しすぎる」という複雑な感情を現していると感じます。
例えば、こんな感じ。
特撮好きの二人が話している場面。
A「事情は解るけどさ、怪獣が出ない(番組の)会を作っちゃダメだよね」
B「く〜、わかりみがやばい!」
さらに「み」は曖昧模糊なものを現します。
ジャニーズ事務所のアイドルグループ「Kis-My-Ft2」(キスマイフットツー)のメンバーに千賀健永(せんがけんと)という人がいます。天然で、さらに王子様のように甘い発言をする彼のキャラクターを「けんてぃーみ」と彼のファンは呼ぶそうです。
彼のそれっぽい発言や行動を目にすると「けんてぃーみがすごい」と表現するのです。
こうなると、その言葉が指す意味を明確にすることはできません。
もともと日本語は、はっきりと物事を指し示さない言語です。
言葉を発しているその場所の雰囲気や環境を手がかりに、なんとなく意味を感じるのです。
この「けんてぃーみ」は、なんとなく千賀健永くんが言いそうなことや彼が取りそうな言動を目にしたファンが、「彼らしいね」という共感をふんわり確かめるために使われているのです。
面白いのは、同じ構造の「旨味」や「しぶ味」だと、それがどんなものかはっきりと伝わります。
しかし、「けんてぃーみ」はものすごくぼんやりしています。
「み」は、進化なのか?退化なのか?
曖昧な感覚をなんとなく共有する…これは進化なのでしょうか?それとも退化?
おそらく、ただ単に「変化」しているだけなのではないでしょうか。
その変化に古い者は眉をひそめて、新しい言葉を攻撃する理由を探します。
新しい者は、そんなことはお構いなしに、自分たちの気持ちを乗っけられるものを、今の言葉をどんどん変化させては共有しているのです。
老兵が言葉の変化について行こうとすると、かなりの苦戦を強いられることは目に見えています。
では、どうするのか?
この際、変化していく様を面白がるのが一番です。
その内、自分でも造ってみたくなるかも知れません。
ものすごく「耳」っぽいものを見たら「みみみがやばい!」とかw。