ブラックフェイス問題について 〜差別なのかそうじゃないのか〜

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昨年末に放送されたテレビ番組で、ダウンタウンの浜田雅功氏が、黒人の扮装をして他の出演者の笑いを誘ったことが「差別」とされ、海外のメディアでも報道されました。

「黒人の扮装をして笑いを誘う」と言うと、「なるほど、それは良くない」と感じる人も多いと思います。

この状況を、番組の流れも入れてもう少し細かく説明すると、次の様になります。
・番組の舞台設定がアメリカンポリスというもの。
・出演者は「笑ってはいけない」という状況である。
・他の出演者は、保安官などのいかもアメリカの警察っぽい扮装。
・その中でひとりだけ、黒人俳優エディーマーフィーが演じた映画「ビバリーヒルズコップ」の主人公の扮装。
というものです。

「これは差別ではない」と主張する人の意見として、次のようなものがあります。

浜田雅功氏が “アメリカの警官” というお題で “エディーマーフィー” に扮しているのが面白いのであって、黒人を笑っているわけではない。

この放送を受けて、これが差別だとする人の主張は次のようなものです。

もし、白人がイチローのユニフォームを着て、つり目でコントに出ていたらどう思うか?

確かに、むむむ!と感じるかも知れません。

では、次のようなものはどうでしょうか?

沖縄の方言で紙芝居コントをやっているものです。

これはまったく差別とは感じないと思います。

浜田雅功のエディーマーフィーと何が違うのか?
ものすごく単純なことですが、やはり、当事者がやっているかどうかということなのでしょう。

紙芝居をやってる人も、聞いている人も沖縄弁を使っていて、いつもより”濃い”沖縄弁に触れて、「ああ、そういう言い方あったあった!」という笑いになっています。

そして、沖縄弁が全然解らない私が見ても、なぜか面白い。
それは、同じ日本人のハズなのに、まったく理解できない自分を面白く感じているからです。

見る側が、自分が感じていた大前提を覆され、自分の思っていた立ち位置や、見ている対象への捉え方がまったく見当違いだったと気づいたとき、人は笑ってしまいます。

では、浜田雅功氏はどうだったのでしょうか?
エディーマーフィーの扮装をして、バリバリの河内弁を喋ったとしたら…… 笑いのポイントが、外国人に持つステレオタイプが河内弁でひっくり返されるという解りやすい笑いになります。

これならば、ここまで問題にならなかったと思われます。

いかがでしょうか?

河内弁はこんな感じ